運指について

運指について考えてみました。
ジャズなどでは指クセがあって自分のやり易いフレーズを選択する事が出来るのですが、クラシックなど自分の手によって生み出されたものではないフレーズを弾く場合、一度立ち止まって指板と相談してみるととても良い解決策が見出される事があります。
まあ、どうやっても見出せない場合もあるのですが・・・。
大事なのは闇雲に自分の指クセにそのフレーズを沿わせようとしない事です。
そのフレーズには四本、五本または六本の四度チューニングの弦にとって、または自分の指の長さ、指のクセ、身体能力にとって、最適な弾き方が必ずやあるはず、という確信をもつことです。
それでも見出せない事もあるんですが・・・。
あとは弦の音色の問題もありますね。
開放弦と指で押さえた弦とでは音が違います。それにコントラバスなど弓で音を表現する事が多い場合ヴィブラートなどの問題も出てきますので、ひたすら弾き易ければ良いという問題でもない。
色々な方法を試してみるしかないですよね。
クラシックを弾くようになって一番煩わしかったのはそこでした。
自分の中には存在しない歌を歌わなきゃあならない事。
でも、必ずそれは自分の歌となって自分のポケットに入ってきますので無駄にはなりません。
まあ、音楽家にとって無駄なものなど存在しませんけどね。